東京〜名古屋〜東京の旅 その1
私、初めてのムーンライトながらの旅に行くことにします。
午後10時ごろに自宅を出たのち、小田原に向かうことにしました。
定番中の定番ですが、ムーンライトながらが日付変更後に
最初に止まる駅が小田原駅なのです。
そこで、小田原まで小田急で先回りして0時を過ぎてから
ムーンライトながらに乗ろうというものです。
なお、小田急の乗車券はチケットショップで買いました。
これで終点、小田原まで向かいます。この電車の新松田〜小田原間で
日付が変わり、小田原駅に到着。
10年以上見ないうちに、ずいぶん変わったものです。
同じように、ムーンライトながらに乗り換える客数十人とともに、
小田急からJRに乗り換えます。
そして、0時31分、
いよいよ来ました。ムーンライトながら。
アイマスクを着けて寝ようとしたり、由比付近で駿河湾を見ようとしたり
しているうちに、熱海・豊橋・共和などでの運転停車などを経て、5時間ほどで
やっとかめ!!
ということで、名古屋到着。
始発電車で大府まで行って、最初の乗り鉄に向かいます。
名古屋〜大府間で乗った電車。2両編成と短いものでした!!
大府で乗り換えて30分ほど行くと、最初の目的地である終着駅に着きます。
というわけで、武豊駅です。「たけゆたか」ではなく「たけとよ」駅です。
大事なことなので2回言いました。
これが駅舎。まだ早朝なので無人でした。
折り返しの電車で戻ります。
駅前にあるこの胸像は、高橋煕(さとし)という人物だそうです。
高橋煕は武豊駅の駅員で、昭和28年の台風の時に線路が流されているのを知り、
発煙筒を振り、列車がその場所を通る前に止め、大勢の乗員乗客の命を
救った人物なのです。
「止まれ!! 止まってくれ!!」
煕は必死に発煙筒を振った。列車の機関士がそれに気付き、急ブレーキをかけた。汽車が止まり何事かと機関士が線路に降りると、なんと線路が流されていたのだった。もし、そのまま列車が進んでいたら、線路が途切れた場所から海にまっさかさまに落ちて、高潮に流されていたであろう。
こんな感じでしょうか… しかし、高橋煕は駅に戻ることができず、
翌日になって遺体となって発見されたそうです。
この話が知られると、「国鉄職員の鑑」として讃える声が高まり、
この、高橋煕の功績を讃える像が建てられたというわけです。
では、大府方面に戻ります。武豊線でもう一つ、降りてみたかった駅に行きます。
亀崎駅です。1886年の開通当初から使っている日本最古の現役駅舎です。
さて、120年以上使われているにも関わらず、中はこんなにきれいです。
こまめに内装が変えられていて、かつ駅舎を大事に使っているからでしょうか。
ホームからも見てみましょう。何度見てもきれい。
さて、名古屋に戻ります。
いったん名古屋に戻って、次の目的地に向かうことにしましょうか…
その2に続く…