痕跡をたどる常陸太田乗り鉄編

今回のスタートは上野駅2Fです。

行き先表示が日暮里・尾久になっています。

しかし、今回は常磐線を使って移動します。

新しい車両であるゆえに、取手〜藤代間のデッドセクションも意識しない間に、

ひたち野うしくに到着。通過待ちがあるので、電車の外に出ました。


なぜか普通列車グリーン車座席が展示されていました。

私は特急の座席とほとんど変わらないように思いました…


さて、この電車の終点、土浦で途中下車してみた。


周りはコンクリートで固められていますが、徒歩2分ちょっとの場所に霞ヶ浦があり、

船がいくつも止まっています。


水戸に到着。コみケッとスペシャル以来の水戸駅です。

ここで水郡線に乗り換え。初めてキハ130系に乗ります。

途中の上菅谷でまた乗り換え、支線に向かいます。


ほぼ同時に本線方面と支線方面の列車が発車しました。

本線が左側で、支線が右側のまっすぐな路線です。

理由は後ほど説明します…


この支線の終点、常陸太田に到着。

国鉄型の駅名標ですが、シートの上に乗っかっています。


というのも、常陸太田駅は改装工事中で、ホームの位置も変わり、

駅舎の横の一部を除いて左側にあった古いホームは取り壊されているのです。


ちなみに、突き当たりはこんな感じ。

万が一オーバーランしたら道路に突っ込んでしまいますね…


駅舎の横に残っているホームは待合所になっていました。

砂利は残っていますが、レールは完全に取り払われてます。

外から見ると、こんな感じ。

もう、完全無欠の工事中です。


さて、常陸太田と言えばもう一つ。

ここのすぐ横は日立電鉄の常北太田駅があったところです。

廃止から5年余り。駅があった場所はどうなっているのでしょうか?

砂利の中に草が生えていますね… 横は駐車場になっているみたいです。


ここは駅の南にある踏切のあった場所。レールの上をアスファルトで固めたため、

一部レールが残っています。そして、レールの上はでこぼこしています。


駅があった場所と踏切跡をはさんで反対側。線路があった場所には草がぼうぼうに生えていました。

川(用水路?)に並行して走る線路の横を100m弱進みました。

こっち側には草はあまり生えてませんね…


駅舎の跡地はすっかりコンクリートの基礎だけになってしまっています…

今年の初めごろまでは駅舎もまだ残っていたようですが、

駅の改装工事とともに、再開発されるようで、基礎の跡さえもなくなるんでしょうか…


日立電鉄について詳しく紹介しているサイトがあるので、紹介します。

http://homepage2.nifty.com/jotta2/

このサイトでは、沿線各地の廃線跡がどうなっているかについてや、

最後に使われていた車両などが載っています。



大甕駅(「大みか駅」と表記)行きのバスが通過。

おそらくは、日立電鉄廃止後の後継路線なのでしょうか。

そうこうしているうちに、折り返しの列車が出るので急いで乗りました。


ホームと道路の段差がない無人駅を通り、

分岐駅上菅谷に到着。


ここで常陸太田から水戸方面の列車に乗り換える人が多く、多くの人が3番線に移動します。

郡山方面の列車が2番線、水戸方面が3番線と、普通の進行方向とは逆なのは、

乗り換えの利便を図るためなのでしょうか…


駅名の看板が渋い。


駅から水戸方面の配線を見てみました。

常陸太田方面の方がまっすぐ線路が伸びていることから見ても、

元々は常陸太田方面が本線だと分かります。

というのも、水郡線の前身、太田鉄道が開通した時のルートが、

常陸太田方面に向かって作られたためで、その後太田鉄道が水戸鉄道に経営譲渡されたのち、

常陸大宮までの支線が出来、その後鉄道省常陸大宮以北の路線を建設し、

水戸鉄道を買収した。といった経緯があり、郡山方面に本線が変わったのです。

その痕跡が、常陸太田方面へ向かう線路がが直線的になっているものなのです。



土浦に戻って少し歩いてみると、

蔵を発見。


さあ、土浦も蔵の町だったんですね…


その中でも、この矢口家住宅は幕末からこの地に建っている、

茨城県重要文化財になっています。

いやはや、さすが。



土浦駅前で鬼太郎の像を発見。

アイバンクと関連してライオンズクラブが立てたものらしい。

なぜ鬼太郎… と思いましたが、目玉の親父を見て納得した気がしました。


上野の手前の日暮里で下車。

隣の京成はすっかりスカイアクセス開通を機にリニューアル。

ファミリーマートまで構内にあります。


以前このあたりにあった駄菓子屋がビルの中に移転して残っているそうですが、

あいにく閉店なので行けませんでした…